アースダイバー

うさんくさい中沢新一は、相変わらず大地の気を感じてあいまいな感覚に根ざしたきれいな言葉を紡いでいる。彼の身体は開かれていてそこにさまざまな理性的でないものが流れ込んでいるのを、妙に素直に現実世界に結び付けて発言してしまうものだから、エセ学者に見えてしまうのである。

アースダイバー

アースダイバー

いつもいつも言うように、中沢新一を厳格で客観的に明快な事実を語る学者だとみなしちゃいけない。彼はある真実を語るけれども、それは事実だとはみなされないことが多いだろう。

歩いていると土地の発する力が変わるのを感じる。東京を歩きながら、そんなことを語りながら大地の成り立ちや歴史や町の物語を収束させていく。「アースダイバー」はそんな本。
「感じる」というのは何も特別なことじゃなくって、ちょっとだけ 皮膚の感覚や頭の中に響く音や気持ちに伝わる揺れに敏感になるだけで、怪しげな宗教やまじないまでもいかないささやかで日常的なもの。体質や体調で強弱はあるし、自覚しているかしていないかってこともある。フツウはそんなものはないものとして処理されている中で、中沢新一は確かに体験していて、それを根幹に据えて発言している。だから、うさんくさい。

でも、そういううさんくさい感覚の中には、速い流れの中で置き去りにされがちな人間のなまなましい命にとって大切なものがあるんじゃないか、と、あたしはささやかな大地の響きを時折感じながらうそぶいてみたりするのだから、中沢新一ぶっきらぼうにけなしながらも、愛してやまないのである。

あたしも、占い師にでもなろうか。