不細工な友情

自分の方向性とか感覚とか考え方とかそういうもろもろのモノが固まる前からのつきあいは、それ以降の関係とは違うものなんだと思う。

ある程度大人になってからは、自分で納得して距離感が、たまには踏み外すことはあっても、概して一定に保つようなバランスがあって、行き違いはあっても、"あったまに来る"とか"信じれんっ"とかそういう事態にはあまり陥らない。

けれど、地域やコミュニティが一緒というくくりの中で友だちだったりすると、およそ、理性的ではないかなり原始的な両義的な関係を行ったり来たりする。子どもの頃のナマなむき出しのまんまのつきあいがずーっと続いていたりもして、それが安心感だったりするのかもしれない。

なんてことを、売れてる光浦靖子と、売れていない大久保佳代子の書簡形式のやりとりを読みながら思った。プロフィールを見るとふたりともおうし座だ。つい先日幼馴染のてんびん座のS嬢に「おまえ ケンカ売っとるのか」というメールをもらったおひつじ座の私は、おうし座二人はもっと大変だろうなぁ、と思った。

不細工な友情

不細工な友情

そんな一般論とは別に、光浦靖子が売れて大久保佳代子が売れない理由もよくわかる。